あらかじめ、もう一度、お話ししますが、本ブログでは、精神医学的、臨床心理学的、発達心理学的内容と、今、はまっています文学というか小説の感想・批評、そして、自由に語るエッセイのようなもの、その3カテゴリーの内容をアップしようと考えています。これまで、2回は母子関係を中心とした内容でしたので、今回は、小説について語りたいと思います。

今日は、二つの健康で明るい青春小説についてお話ししようと思います。

一つは佐藤多佳子氏の「一瞬の風になれ」です。(本屋大賞に輝いています。本屋大賞は本当に良い作品が選ばれます。今や最高の文学賞かと思います。)

 本書は、全く野望も自信もない主人公が、高校時代に陸上の短距離走に情熱を燃やすというものです。見ようによってはスポコン的雰囲気もありますが、主人公のひたむきさや、友人との関わりがとても爽やかです。特に、兄がサッカーの注目選手であり、両親も本人も、ひたすら、その兄をスターとして家庭が回っていたので、本人には、まったく歪んだプライド・自己愛もなく(思春期の小説では、この自己愛との向き合い方がテーマになることが多い)、ただ、恩師や友人とのつながりの中で無心に鍛錬していくうちに、埋もれていた自分でも気づかなかった才能が開花するという筋です。

この主人公の屈託のなさ、人に対する自然な思いやり、健康な勝負へのこだわりが素敵に描かれています。本書を読むと、もっと学生時代に部活をこのような気持ちや真剣さでやり遂げておきたかったと素直に思います。著者が、児童文学の専門家のためか、いわゆる純文学的な、持って回ったような心理描写や、結晶化したようなフレーズはないのですが、淡々とスポーツの厳しさや、人との関係性における葛藤などが、当たり前のリアリティーとして描かれており、そのことが、まっすぐに生きる主人公の生き方とマッチして爽やかな気持ちを沸き起こしてくれます。他者との関係性での建前の気持ちとは違う本音が、心の中の独り言として語られるのも魅力的です。これは、サリンジャーの「ライ麦畑で捕まえて」のスタイルに似ています。

今一つは、椰月美智子氏の「しずかな日々」です。これは児童文学として素晴らしいものです。5年生の子供が、活発な友人と静かな祖父との関係性の中で、世界を広げていく物語です。ボリューム上、詳細は避けますが、健康な思春期の子供の成長を静かな温かいまなざしで描いたものです。最後を締めくくるように述べられた以下の一文はすごいですね。

「人生は劇的ではない。僕はこれからも生きていく。」

前者が青年期の成長を描いたものであれば、後者は思春期、それも前思春期から前期思春期の成長を描いたものと思います。私は大学病院で長く「思春期専門外来」を担当していた手前、様々の思春期・青年期関連の文献は読み漁っていますが、前者は、スポーツを通して、自分を見出していくプロセスを(古い言い回しで言えば、自己実現プロセス)を、後者は、世界を自分の居場所にしていくプロセスを具体的に描いたものと言えます。

思春期・青年期の小説として有名なのは、トーマス・マンの「トニオ・クレーゲル」、ヘッセの「車輪の下」、先ほど述べたサリンジャーの「ライ麦畑で捕まえて」ですが、全て、世の中のシステムと会わず、あるいは、理不尽と感ずる、あるいは理不尽な世界に苦しむ姿が描かれています。それらも素晴らしいのですが、本二冊は、とても健康な若者の姿が描かれているということが特筆すべきことかと考えています。健康な青年期の恋の悩み(もちろん、苦しんではいますが)を描いた小説としては、ツルゲーネフの「初恋」は素晴らしいものです。最近は、純文学では特にそうですが、際物(きわもの)というか、とても変わった主人公や、普通の世界そのものが苦痛でならない主人公が多いと思います。この「初恋」は年上の女王様のような公爵令嬢に憧れにも似た恋心を抱くとともに、その失恋にも出会うという、今では、やや使い古されたように物語ですが、私は好きですね。ツルゲーネフ自身も、とても愛した作品のようです。

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